「急がば回れ」は「基礎から学べ」で韻が踏める

先日かねてより愛聴していたダニエル・ジョンストンというアーティストの訃報を聞いて、家の中のCDをあさって聴き返していました。この人はローファイと呼ばれる音楽ジャンルの代表者として、その筋では有名です。声や演奏などがヘロヘロしつつも、とても美しい曲ばかり。

それにしてもCDを探しながら「すっかり音源をフィジカルで買わなくなったなぁ」と改めて感じました。サブスクリプションで気軽にさまざまな音楽に触れられる今日この頃。アナログやCDを再生するために必要不可欠な「ビニールを破る→ケースから取り出す→円盤を載せる」などのちょっとした手間が、サブスクにはなく、いわばシームレスに再生できます。実際、その恩恵を受けているものの、以前に比べて聴取の仕方が変わった気がします。これについてはなんとも形容しがたいのですが、あえて言うなら一枚一枚、一曲一曲に対する重みが軽くなってしまったような……。本来であれば喜ばしいはずのこうした特長が、かえって自身の音楽に対する熱意を削いでしまっているようです。

効率性を追求することは、現代においてますます重要になっていると考えられがちです。そして、自分自身もそう思うところはあります。一方で、手間のかかることすべてがムダかというとそうでもないのでは? という風にも思ってしまいます。学習にも似たようなところはあって、最速で最適解を求めることに拘泥しすぎるのは考えもので、ときにはあえて迂回して気付けることもあるのではないでしょうか。

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